2005年12月31日

十八になった。

 夏休の間の出来事である。卒業試験が近くなるので、どこかいつもより静かな処にいて勉強したいと思った。さいわい向島の家が借手がなくて明いている。そこへ書物を持って這入(はい)る。お母様が二三日来ていて、世話をして下さる。しかし材料さえ集めて置いて貰えば、僕が自炊をするというのである。お母様は覚束(おぼつか)ないと仰ゃる。
 この話を隣の植木屋が聞いた。お父様が畠に物を作る相談をせられるので、心安くなっていた植木屋である。この植木屋のお上さんが、親切にもこういう提議をした。植木屋にお蝶という十四になる娘がある。体は十六位かと見えるように大きいが、まるで子供である。煮炊(にたき)もろくな事は出来ない。しかし若旦那よりは上手であろう。これを貸してくれようと云うのである。お母様は同意なすった。僕も初から女を置くということには反対していたが、鼻を垂らして赤ん坊を背負っていたのを知っている、あのお蝶なら好かろうというので、同意した。
千葉風俗
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2005年12月29日

それから折々内に寄るので

僕が休日に帰っていて落ち合うこともある。子供の時に Hydrocephalus ででもあったかというような頭の娘で、髪が稍(や)や薄く、色が蒼(あお)くて、下瞼(したまぶた)が紫色を帯びている。性質は極勝気(ごくかちき)である。琴はいかにも virtuoso の天賦を備えている。これが若し琴を以て身を立てようとする人であったら、師匠に破門せられて、別に一流を起すという質(たち)かも知れない。
 この娘が段々お母様と親密になって、話の序に、遠廻しのようで、実は頗る大胆に、僕の妻になりたいということをほのめかすのである。お母様が、倅(せがれ)も卒業すれば、是非洋行をさせねばならないが、卒業試験の点数次第で、官費で遣られるか、どうだか知れないと話すと、わたくしがお金を持っていれば、有るだけ出して学資にして戴きとうございますなどという。
 お母様にもこの娘の怜悧(りこう)なのが気に入る。そこで身元などを問い合わせて見られる。このお麗(れい)さんという娘は可なりの役を勤めていた士族の娘で、父親に先立たれて、五軒町の借屋に母親と一しょに住んでいる。しかし妙なことには、その家にお兄いさんというのがいて、余程お人好と見えて、お麗さんに家来のように使われている。それが実は壻(むこ)養子に来たものだということである。壻養子に来たのではあるが、お麗さんはその人の妻になりたくないから、家をその人に遣って、自分はどこかへ娵(よめ)に行きたいと云っている。そしてお麗さんの望は、少くも学士位な人を夫に持ちたいというのだそうだ。そこで僕がその選に中(あた)ったという訣(わけ)である。
 お母様にはそのお兄いさんというもののいるのが気に入らない。僕はこの怜悧で活溌な娘が嫌ではないが、早く妻を持とうという気はないのだから、この話はどうなるともなしに、水が砂地に吸い込まれるように、立消(たちぎえ)になってしまった。
 これは性欲問題では勿論無い。そんならと云って、恋愛問題とも云われまい。言わば起り掛かって止んだ縁談に過ぎないが、思い出したから書いて置く。お麗さんは望どおりに或る学士の奥さんになって横浜あたりにいるということである。

人妻風俗
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2005年12月28日

いつも新しい前掛をしているのである

僕はこの頃から、ずっと後に大学を卒業するまで、いや、そうではない、それから二年目に洋行するまで、この娘を僕の美しい夢の主人公にしていたに相違ない。春のなまめかしい自然でも、秋の物寂しい自然でも、僕の情緒を動かすことがあると、ふいと秋貞という名が唇に上る。実に馬鹿らしい訣(わけ)である。何故というのに、秋貞というのはその店に折々見える、紺の前掛をした、痩(や)せこけた爺さんの屋号と名前の頭字とに過ぎないのである。この娘は何という娘だということをも僕は知らないのである。しかし不思議と云えば不思議である。僕が顔を覚えてから足掛五年の間、この娘は娘でいる。僕の空想の中に娘でいるのは不思議ではないが、この娘が実在の娘でいるのは不思議である。僕の例の美しい夢の中で、若しやこの娘は、僕が小菅へ往復する人力車を留めて、話をし掛けるのを待っているのではあるまいかとさえ思ったこともある。しかしまさか現(うつつ)の意識でそれを信ずる程の詩人にもなれなかった。余程年が立ってから、僕は偶然この娘の正体を聞いた。この娘はじきあの近所の寺の住職が為送(しおくり)をしていたのであった。
 つまらない話の序(ついで)に、も一つ同じようなのを話そう。お父様の住まってお出(いで)になる、小菅の官舎の隣に十三ばかりの娘がある。それが琴の稽古をしている。師匠は下谷の杉勢というのであるが、遠方の事だから、いつも代稽古の娘が来る。お母様が聞いていらっしゃるに、隣の娘が弾(ひ)いても、代稽古に来る娘が弾いても、余り好い音(ね)がしたことはない。それが或日まるで変った音がした。言って見れば、今までのが寝惚(ねぼ)けた音なら、今度のは目の醒(さ)めた音である。お母様が隣の奥さんにその事を話すと、あれは琴を商売にしている人ではない。杉勢の弟子で、五軒町に住んでいる娘である。代稽古に来る娘が病気なので、好意で来てくれたということであった。そのうちその琴の上手な娘が、お母様に褒(ほ)められたのを聞いて、それではいつか往って弾いて聞かせようと云った。
五反田風俗
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2005年12月26日

十七になった。

 この歳にお父様が、世話をする人があって、小菅(こすげ)の監獄署の役人になられた。某省の属官をしておられたが、頭が支(つか)えて進級が出来ない。監獄の役人の方は、官宅のようなものが出来ていて、それに住めば、向島の家から家賃があがる。月給も少し好い。そこで意を決して小菅へ越されたのである。僕は土曜日に小菅へ行って、日曜日の晩に下宿に帰ることになった。
 僕は依然として三角同盟の制裁の下に立っているのである。休日の前日が来て、小菅の内へ帰る度に通新町を通る。吉原の方へ曲る角の南側は石の玉垣のある小さい社で、北側は古道具屋である。この古道具屋はいつも障子が半分締めてある。その障子の片隅に長方形の紙が貼ってあって、看板かきの書くような字で「秋貞」と書いてある。小菅へ行く度に、往(いき)にも反(かえり)にも僕はこの障子の前を通るのを楽にしていた。そしてこの障子の口に娘が立っていると、僕は一週間の間何となく満足している。娘がいないと、僕は一週間の間何となく物足らない感じをしている。
 この娘はそれ程稀(まれ)な美人というのではないかも知れない。只薄紅の顔がつやつやと露が垂(したた)るようで、ぱっちりした目に形容の出来ない愛敬がある。洗髪を島田に結っていて、赤い物なぞは掛けない。夏は派手な浴衣(ゆかた)を着ている。冬は半衿(はんえり)の掛かった銘撰(めいせん)か何かを着ている。
広島風俗
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2005年12月25日

僕は古賀の跡に附いて

始て藍染橋(あいぞめばし)を渡った。古賀は西側の小さい家に這入って、店の者と話をする。僕は閾際(しきいぎわ)に立っている。この家は引手茶屋である。古賀は安達が何日(いくか)と何日(いくか)とに来たかというような事を確めている。店のものは不精々々に返辞をしている。古賀は暫(しばら)くしてしおしおとして出て来た。僕等は黙って帰途に就いた。
 安達は程なく退学させられた。一年ばかり立ってから、浅草区に子守女や後家なぞに騒がれる美男の巡査がいるという評判を聞いた。又数年の後、古賀が浅草の奥山で、唐桟(とうざん)づくめの頬のこけた凄(すご)い顔の男に逢った。奥山に小屋掛けをして興行している女の軽技師(かるわざし)があって、その情夫が安達の末路であったそうだ。

      *

 十六になった。
 僕はその頃大学の予備門になっていた英語学校を卒業して、大学の文学部に這入った。
 夏休から後は、僕は下宿生活をすることになった。古賀や児島と毎晩のように寄席(よせ)に行く。一頃悪い癖が附いて寄席に行かないと寝附かれないようになったこともある。講釈に厭(あ)きて落語を聞く。落語に厭きて女義太夫をも聞く。寄席の帰りに腹が減って蕎麦(そば)屋に這入ると、妓夫が夜鷹(よたか)を大勢連れて来ていて、僕等はその百鬼夜行の姿をランプの下に見て、覚えず戦慄(せんりつ)したこともある。しかし「仲までお安く」という車なぞにはとうとう乗らずにしまった。
 多分生息子で英語学校を出たものは、児島と僕と位なものだろう。文学部に這入ってからも、三角同盟の制裁は依然としていて、児島と僕とは旧阿蒙(きゅうあもう)であった。
 この歳は別に書く程の事もなくて暮れた。

山梨風俗
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2005年12月24日

妬(ねた)ましい

そして自分が美男に生れて来なかった為めに、この美しいものが手の届かない理想になっているということを感じて、頭の奥には苦痛の絶える隙(ひま)がない。それだから安達はさぞ愉快だろう、縦令(たとい)苦痛があっても、その苦痛は甘い苦痛で、自分の頭の奥に潜んでいるような苦い苦痛ではあるまいという思遣(おもいやり)をなすことを禁じ得ない。それと同時に僕はこんな事を思う。古賀の単純極まる性質は愛す可きである。しかし彼が安達の為めに煩悶(はんもん)する源を考えて見れば、少しも同情に値しない。安達は寧(むし)ろ不自然の回抱(かいほう)を脱して自然の懐(ふところ)に走ったのである。古賀がこの話を児島にしたら、児島は一しょに涙を翻したかも知れない。いかにも親孝行はこの上もない善い事である。親孝行のお蔭で、性欲を少しでも抑えて行かれるのは結構である。しかしそれを為(な)し得ない人間がいるのに不思議はない。児島は性欲を吸込の糞坑(ふんこう)にしている。古賀は性欲を折々掃除をさせる雪隠の瓶(かめ)にしている。この二人と同盟になっている僕が、同じように性欲の満足を求めずにいるのは、果して僕の手柄であろうか。それは頗(すこぶ)る疑わしい。僕が若し児島のような美男に生れていたら、僕は児島ではないかも知れない。僕は神聖なる同盟の祭壇の前で、こんな heretical な思議を費していたのである。
横浜風俗
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2005年12月23日

同じ歳の秋であった

古賀の機嫌(きげん)が悪い。病気かと思えばそうでもない。或日一しょに散歩に出て、池の端を歩いていると、古賀がこう云った。
「今日は根津へ探検に行くのだが、一しょに行くかい」
「一しょに帰るなら、行っても好い」
「そりゃあ帰る」
 それから古賀が歩きながら探険の目的を話した。安達が根津の八幡楼(やわたろう)という内のお職と大変な関係になった。女が立て引いて呼ぶので、安達は殆ど学課を全廃した。女の処には安達の寝巻や何ぞが備え附けてある。女の持物には、悉(ことごと)く自分の紋と安達の紋とが比翼(ひよく)にして附けてある。二三日安達の顔を見ないと癪(しゃく)を起す。古賀がどんなに引き留めても、女の磁石力が強くて、安達はふらふらと八幡楼へ引き寄せられて行く。古賀は浅草にいる安達の親に denunciate した。安達と安達の母との間には、悲痛なる対話があった。さて安達の寄宿舎に帰るのを待ち受けて、古賀が「どうだ」と問うた。安達は途方に暮れたという様子で云った。「今日は母に泣かれて困った。母が泣きながら死んでしまうというのを聞けば、気の毒ではある。しかし女も泣きながら死んでしまうというから、為方(しかた)がない」と云ったというのである。
 古賀はこの話をしながら、憤慨して涙を翻(こぼ)した。僕は歩きながらこの話を聞いて、「なる程非道い」と云った。そうは云ったが、頭の中では憤慨はしない。恋愛というものの美しい夢は、断えず意識の奥の方に潜んでいる。初て梅暦を又借をして読んだ頃から後、漢学者の友達が出来て、剪燈余話(せんとうよわ)を読む。燕山外史(えんざんがいし)を読む。情史を読む。こういう本に書いてある、青年男女の naively な恋愛がひどく羨ましい
大阪風俗
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2005年12月22日

同じ歳の夏休は、

やはり去年どおりに、向島の親の家で暮らした。その頃はまだ、書生が暑中に温泉や海浜へ行くということはなかった。親を帰省するのが精々であった。僕のような、判任官の子なんぞは、親の処に帰って遊んでいるより上の愉快を想像することは出来なかったのである。
 相変らず尾藤裔一と遊ぶ。裔一の母親はもういない。悪い噂(うわさ)が立ったので、榛野は免職になって国へ帰る。尾藤の母親も国の里方へ返されたのである。
 裔一と漢文の作り競(くら)をする。それが困(こう)じて、是非本当の漢文の先生に就いて遣(や)って見たいということになる。
 その頃向島に文淵(ぶんえん)先生という方がおられた。二町程の田圃を隔てて隅田川の土手を望む処に宅を構えておられる。二階建の母屋に、庭の池に臨んだ離座敷の書斎がある。土蔵には唐本が一ぱい這入っていて、書生が一抱ずつ抱えては出入(だしいれ)をする。先生は年が四十二三でもあろうか。三十位の奥さんにお嬢さんの可哀いのが二三人あって、母屋(おもや)に住んでおられる。先生は渡廊下で続いている書斎におられる。お役は編修官。月給は百円。手車で出勤せられる。僕のお父様が羨ましがって、あれが清福というものじゃと云うておられた。その頃は百円の月給で清福を得られたのである。
 僕はお父様に頼んで貰って、文淵先生の内へ漢文を直して貰いに行くことにした。書生が先生の書斎に案内する。どんな長い物を書いて持って行っても、先生は「どれ」と云って受け取る。朱筆を把(と)る。片端から句読(くとう)を切る。句読を切りながら直して行く。読んでしまうのと直してしまうのと同時である。それでも字眼(じがん)なぞがあると、標(しるし)を附けて行かれるから、照応を打ち壊されることなぞはめったに無い。度々行くうちに、十六七の島田髷(まげ)が先生のお給仕をしているのに出くわした。帰ってからお母様に、今日は先生の内の一番大きいお嬢さんを見たと話したら、それはお召使だと仰ゃった。お召使というには特別な意味があったのである。
 或日先生の机の下から唐本が覗いているのを見ると、金瓶梅(きんぺいばい)であった。僕は馬琴の金瓶梅しか読んだことはないが、唐本の金瓶梅が大いに違っているということを知っていた。そして先生なかなか油断がならないと思った。

関西風俗
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2005年12月21日

古賀と児島と僕との三人は

寄宿舎全体を白眼に見ている。暇さえあれば三人集まる。平生性欲の獣を放し飼にしている生徒は、この triumviri の前では寸毫(すんごう)も仮借せられない。中にも、土曜日の午後に白足袋を穿(は)いて外出するような連中は、人間ではないように言われる。僕の性欲的生活が繰延になったのは、全くこの三角同盟のお陰である。後になって考えて見れば、若(も)しこの同盟に古賀がいなかったら、この同盟は陰気な、貧血性な物になったのかも知れない。幸に荒日を持っている古賀が加わっていたので、互に制裁を加えている中にも、活気を失わないでいることを得たのであろう。
 或る土曜の事である。三人で吉原を見に行こうということになる。古賀が案内に立つ。三人共小倉袴に紺足袋で、朴歯(ほおば)の下駄をがらつかせて出る。上野の山から根岸を抜けて、通新町を右へ折れる。お歯黒溝(どぶ)の側を大門(おおもん)に廻る。吉原を縦横に濶歩(かっぽ)する。軟派の生徒で出くわした奴は災難だ。白足袋がこそこそと横町に曲るのを見送って、三人一度にどっと笑うのである。僕は分れて、今戸(いまど)の渡(わたし)を向島へ渡った。

名古屋風俗
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2005年12月18日

古賀は父親をひどく大切にしている。

その癖父親は鵠介の弟の神童じみたのが夭折(ようせつ)したのを惜んで、鵠介を不肖の子として扱っているらしい。鵠介は自分が不肖の子として扱われれば扱われるだけ、父親の失った子の穴填(あなうめ)をして、父親に安心させねばならないように思うのである。児島は父親が亡くなって母親がある。母親は十何人という子を一人で生んだのである。これも十三人目の十三郎というのが才子で、その方が可哀がられているらしい。しかし十三郎は才子である代りに、稍(や)や放縦で、或る新聞縦覧所の女に思われた為めに騒動が起って新聞の続物に出た。女は元と縦覧所を出している男の雇女で、年の三十も違う主人に、脅迫せられて身を任せて、妾(めかけ)の様になっていた。それが十三郎を慕うので、主人が嫉妬から女を虐遇する。女は十三郎に泣き附く。その十三郎が勅任官の家の若殿だから、新聞の好材料になったのである。その為めに、十三郎は或る立派な家に養子に貰われていたのが破談になる。母親は十三郎の為めに心痛する。十二郎はその母親の心を慰めようと、熱心に努めているのである。
 こんな事をだらだらと書くのは、僕の性欲的生活に何の関係もないようだが、実はそうでない。これが重大な関係を有している。
 僕は古賀と次第に心安くなる。古賀を通じて児島とも心安くなる。そこで三角同盟が成立した。
 児島は生息子(きむすこ)である。彼の性欲的生活は零(ゼロ)である。
 古賀は不断酒を飲んでぐうぐう寝てしまう。しかし月に一度位荒日(あれび)がある。そういう日には、己(おれ)は今夜は暴れるから、君はおとなしくして寝ろと云い置いて、廊下を踏み鳴らして出て行く。誰かの部屋の外から声を掛けるのに、戸を締めて寝ていると、拳骨(げんこつ)で戸を打ち破ることもある。下の級の安達という美少年の処なぞへ這入り込むのは、そういう晩であろう。荒日には外泊することもある。翌日帰って、しおしおとして、昨日は獣になったと云って悔んでいる。
 児島の性欲の獣は眠っている。古賀の獣は縛ってあるが、おりおり縛(いましめ)を解いて暴れるのである。しかし古賀は、あたかも今の紳士の一小部分が自分の家庭だけを清潔に保とうとしている如くに、自分の部屋を神聖にしている。僕は偶然この神聖なる部屋を分つことになったのである。
すすきの風俗
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